東京オリンピック前に和歌山県で行われたドイツ代表のキャンプに約1週間帯同しました。現在のオリンピック男子サッカーは選手の年齢制限(23歳以下+オーバーエイジ3名)があり、すべてのトップ選手が参加するわけではないので、ドイツ国内ではそれほど注目度は高くありません(1992年から2012年まで6大会連続でオリンピック出場を逃す)。実際に今大会でも多くのクラブが選手の派遣に難色を示し、選手の中にも参加に興味を示さないケースがあったようです。
オリンピックを価値ある選手育成の場として捉えたドイツサッカー協会は、2016年のリオデジャネイロ・オリンピックに7大会ぶりに出場し、当時所属クラブで主力として活躍していた若手選手たちを招集することで銀メダルを獲得しました(決勝はPK戦の末ブラジルに敗れる)。そして、東京オリンピック直前のU-21ヨーロッパ選手権でドイツがヨーロッパチャンピオンとなり、元ドイツ代表フォワードとして活躍しドイツ国内でも評価の高いシュテファン・クンツ監督が指揮を執っていたこともあり、今回の東京オリンピックでもメダルが期待されていました。
個人的にはとてもオープンで気さくなクンツ監督やチームスタッフ、選手たちとピッチ内外で関わることができて楽しい経験ができました。実際に行われたトレーニングメニューやサッカーに関するまじめな話から、選手たちのやんちゃな行動ややらかしエピソードなどお伝えできればと思います。
参加メンバー
オリンピックの約1ヶ月前に行われたU-21ヨーロッパ選手権の優勝メンバーからは5名が参加。オーバーエイジ枠の3名は、クンツ監督の下、2017年のU-21ヨーロッパ選手権で優勝を経験したナディーム・アミリ(レヴァークーゼン)とマキシミリアン・アーノルド(ヴォルフスブルク)の2名、さらにA代表経験もあるマックス・クルーゼ(ウニオン・ベルリン)が選出されました。
しかし、コロナの影響などを考慮して大会の選手登録枠が18から22に拡大されたのにもかかわらず、召集できたメンバーは19名(そのうちGK3名)のみ。さらに来日直前にはイスマイル・ヤコブス(U-21ヨーロッパ選手権優勝メンバー)が離脱。召集を承諾していたケルンからモナコへの移籍が急遽決まり、モナコが召集を承諾してくれませんでした。
クンツ監督のインタビューによると、100名以上の候補者リストを作成し全ての選手にコンタクトしたものの、最終的に来日できたのは18名(FP15名、GK3名)。選手よりもスタッフの数の方が多い状態でした。「他のどの競技でも登録選手枠を使い切っているはずだ。素晴らしいサポートをしてくれたクラブ(ウニオン・ベルリン、ヘルタ・ベルリン、ヴォルフスブルク)もあったが、いくつかのビッグクラブは協力する気がなかった。バイエルンは第3GKを派遣してくれなかった」とインタビューで苦言を呈していたように、選手の派遣に対しての態度はクラブによってさまざまだったようです。
金メダルの報酬は2万ユーロ(約280万円)と、クラブからの年俸と比べたら少ない金額かもしれませんが、それでもオリンピックに参加したという選手たちに対してクンツ監督は「最初のオファーで、選手たちは”他の競技の選手と同じ条件”に承諾してくれました。彼らはお金が欲しいのではなく、オリンピックでプレーしたいんです。これはチームにとっても良い兆候だと思います」と選手たちを褒めたたえました。
ピッチ上に11人をそろえることができるなら、金メダルを取るために全力を尽くしたい。お金よりも価値のあることだ。 元ドイツ代表 マックス・クルーゼ
トレーニング
フランクフルトで顔合わせを兼ねて調整トレーニングを終えたあと、チームは成田から入国。夜遅くに和歌山のホテルに到着しました。到着日は夕食を終えて短めのミーティングで終了しました。
トレーニング初日(午前)
コンディション調整がメインで、軽く汗を流し、最後はレクレーション的な要素を含めた盛り上がるメニューで締めくくりました。まだオーバーエイジ組と若手の間でぎこちなさが見られました。
- ジョギング/ストレッチ/コンディショニング(20分)
- エッケ(10分)
- V字パスコンビネーション(20分)
- 3ゴールのシュート競争(20分)
トレーニング初日(午後)
午前のトレーニングが終わってからホテルで一休みした後、午後はゲーム形式をメインにトレーニングを行いました。ただ選手の人数が少ないので11対11を行うことができませんでした。シーズンオフが明けてから間もないので、多くの選手の動きが重く感じられました。
- ステップワーク
- エッケ
- 7対7/8対8+GK(60x68m、5~7分x4本)
トレーニング2日目(午前)
フィールドプレーヤーはホテルでリカバリー。GKのみグランドでトレーニングを行いました。
- ステップ&キャッチング
- 3ゾーンのシュート対応
- クロス対応
- ブラインドシュートの対応
トレーニング2日目(午後)
少人数での対人形式で負荷の高いトレーニングを行いました。翌日に控えるホンジュラスとのトレーニングマッチに向けて、コンビネーションからのシュート練習で締めくくりました。オーバーエイジと若手との距離も縮まり、体は相当重そうでしたがチームの雰囲気はよくなってきました。
- ステップワーク
- エッケ
- 1対1→2対2→3対3(5セット)
- コンビネーションからシュート
トレーニングマッチ
午前中にセットプレーの確認を行い、夕方から同じく和歌山県でキャンプを行っていたホンジュラス代表とトレーニングマッチを行いました。フィールドプレーヤーが15名しかいないということで、中学生のトレーニングマッチみたいな感じで30分x3本を行い、1人約60分出場しました。ゴールキーパーは第1のフロリアンが60分、残りの2人が最後の1本を分け合いました。すでに日本代表とテストマッチを行っているホンジュラスはだいぶコンディションが上がっているようでした。
1本目:0-1
2本目:0ー0
3本目:1-0(ウドカイ)
ドイツが長い時間ゲームをコントロールしていましたが、個人やグループでの単純なミスが多く、アタッキングサードでの精度やインテンシティにも欠け、ホンジュラスに先制されてしまいました。3本目で同点に追いつきましたが、残り5分というところで、ドイツのジョルダン・トルナリガが相手選手に人種差別発言をされたと抗議し両チームが入り乱れる状況となってしまいました。クンツ監督の決断は早く、選手たちの様子を見て、こんな状態で試合をする意味はないと試合を終了させました。相手チームは聞き間違いだと言っていましたが、ジョルダンはベンチでうずくまって悔し泣きしていました。
トレーニングマッチ後は80m走を10本行いコンディションを調整していました。
オリンピック結果
- ドイツ 2 – 4 ブラジル(アミリ、アヒェ)
- ドイツ 3 – 2 サウジアラビア(アミリ、アヒェ、ウドカイ)
- ドイツ 1 – 1 コートジボアール(レーヴェン)
1勝1敗1分の3位となりベスト8進出を逃しました。初戦はかなり本気モードのブラジルに対して全く走れず前半で0-3。戦力的にもコンディション的にも厳しい試合でした。2戦目は格下ともいえるサウジアラビアに何とか勝利。最終戦は苦手とするアフリカ勢に勝てば2位通過が決まる試合でしたが追加点を奪えず。
大会中や大会後のエピソード
シュテファン・クンツ監督
クンツ監督の出身地と自分がドイツにいた時に住んでいた州が同じこともありましたが、とにかく誰に対してもとてもフレンドリーな態度で接していました。選手としてはドイツ代表として活躍し、指導者としてもドイツU21代表などでタイトルを取っていますが、過去には公の場で二度と監督の仕事には就かないと発言し、しばらく監督業からは遠ざかっていた時期もあります。その後、スポーツマネージメントを学び、カイザースラウテルンの会長などの役職を務めていた経験もあり、サッカーの指導だけでなく円熟味の増したチームマネージメント力を間近で勉強することができました。キャンプ中はトレーニングの合間にコーチングスタッフとよくジョギングをして汗を流していました(膝が痛そうでした)。
オリンピック後の9月にワールドカップのヨーロッパ予選を戦っているトルコ代表監督に就任(選手時代ベシクタシュでプレー経験あり)。オランダとノルウェーに次ぐグループ3位の状態から指揮を執り、残り4試合を3勝1分けとしてグループ2位となりプレーオフに進出。ワールドカップ出場の期待が高まったがプレーオフの準決勝でポルトガルに敗退。応援しています。
アントニオ・ディ・ザルヴォ(コーチ)
ニックネームはトニ。選手時代はバイエルン・ミュンヘンでもプレー経験があり、大会中はクンツ監督の右腕として動いていました。2020年12月からクンツ監督とともにドイツサッカー協会のフォワードプログラムにも関わっていました。オリンピック後はクンツ監督の後任として監督に昇格しました。キャンプ中に話したときは「日本は反復トレーニングが多いんだろ。反復はとても大事だ」語っていました。
マキシミリアン・アーノルド
オーバーエイジ枠の一人でチームのキャプテン。ピッチ内外で寡黙なイメージがあり、他の若手のようにはしゃいだ姿をほとんど見せませんでした。食後に若手選手のテーブルでじゃんけんをして負けた選手が全員分の皿を片付ける罰ゲームを行い、負けた若手選手がキャプテンにじゃんけんを挑みました。じゃんけんに負けたキャプテンは笑顔で若手の皿を運び、レストランで一番盛り上がった瞬間でした。
キャンプ中はコンディションが上がらずトレーニングマッチでもあまり良い姿が見られませんでしたが、オリンピック後のチャンピオンズリーグに出場していた時はヴォルフスブルクの中心選手として中盤で安定感のあるプレーをしていました。その活躍が認められ2021年9月にはA代表にも追加召集されワールドカップ予選に2試合に出場しました。
マックス・クルーゼ
オーバーエイジ枠の一人で今回のメンバーの中ではA代表経験が最も豊富だった選手。オリンピックの前のシーズンにトルコリーグからブンデスリーガのウニオン・ベルリンに所属。1部リーグの経験少ないクラブで中心選手として活躍し、チームは降格争いどころかチャンピオンズリーグ圏内を狙える位置につけました。過去にはやんちゃなことをしてレーヴ監督から代表を追放されたこともありますが、ピッチ内では真剣そのもので得点感覚やシュート力は凄かったです。ただピッチ外ではやんちゃさを感じることもあり、食事の時にはいつもコーラを飲みたがっていて許可されませんでした。スタッフがこっそりコーラ・ゼロを渡そうとしたら、普通のコーラが欲しいとだだをこねていました。クンツ監督のような人が監督ならうまく活かせてもらえそうなタイプ。2022年からはユース時代から所属していたブレーメンに復帰。
ナディーム・アミリ
オーバーエイジ枠の一人で当時はレヴァークーゼンに所属。オリンピック前までにはA代表で5試合の経験がありますが、オリンピック直後は召集されていません。すごく物静かなタイプで、キャンプ中はチームの中で一番コンディションが良さそうでした。オリンピックのブラジル戦とサウジアラビア戦でゴールを決めました。
ベンヤミン・ヘンリヒス
ニックネームはベニー。RBライプツィヒ所属で両サイドバックをこなし、10代でA代表デビュー。キャップ数こそ少ないものの、オリンピック後のオランダ戦やイタリア戦にA代表で出場しています。ピッチ外では物腰柔らかくマイペースな感じでした。
マルコ・リヒター
当時アウクスブルク所属でオリンピック後はヘルタ・ベルリンに移籍。U21ヨーロッパ選手権では数ゴール決めて活躍していました。ピッチ内外で明るいタイプですが、関西国際空港から成田に移動する際、パスポートを紛失。インターネットのニュースにも「18名しかいないのにまた1人離脱か」みたいな記事を書かれていました。
ダヴィド・ラウム
当時グロイター・フュルト所属で、オリンピック後はホッフェンハイムに移籍。左利きのサイドバックで評価は一気に高まり、オリンピック後にA代表デビューを果たし出場機会を増やしています。キャンプ中は一番ギラギラ感を感じました。
アルネ・マイアー
当時ヘルタ・ベルリン所属でビーレフェルトにレンタル中。オリンピック後はアウクスブルクに移籍。U21ヨーロッパ選手権ではキャプテンとして優勝に貢献しました。キャンプ中もピッチ内外でリーダーシップを発揮するシーンが見られ、ホテルからの歓迎の言葉に対してアルネが代表であいさつを行いました。「Teamgeist Schlägt den Talent.(チームスピリットが才能に打ち勝つ)」というスローガンを掲げていました。
ケヴェン・シュロッターベック
当時フライブルク所属のセンターバック。弟のニコ・シュロッターベックもフライブルク所属(オリンピック前はウニオン・ベルリンにレンタル)でセンターバック。オリンピック後に弟がA代表に召集され、オリンピックのチームメイトであるマルコ・リヒターに「悪い方のシュロッターベック」とSNSでいじられていた。キャンプ中にスパイクを忘れてトレーニングに参加し、一緒にホテルに取りに戻った。その日の食事で罰ゲームを行うことになり、自分でYouTubeで探した日本の歌を日本語で歌っていたが、何の曲を歌ったのかよくわからなかった。
フェリックス・ウドカイ
アウクスブルク所属のセンターバック。身体能力は高いがピッチ外ではマイペース。朝食前のPCR検査に来ないので部屋まで行ったら寝坊でした。その日のホンジュラスとのトレーニングマッチで同点ゴールを決めたので、「なんでゴールを決められたかわかる?よく寝たからでしょ?」と言ったら笑っていました。
チーム到着までの準備
2014年以来の久しぶりの和歌山訪問でした。到着後、県と市の関係者やドイツから先発組として来日していたチームスタッフ数名と合流し、選手受け入れの準備を行いました。
ホテルでの準備
ドイツサッカー協会の旅行部門スタッフのハディープを中心にまずは部屋決めから。部屋のサイズを確認しながら監督の部屋を決め、選手の負担を減らすために部屋を何階にするか、コーチングスタッフルームやマッサージルーム、ミーティングルーム、室内トレーニングルーム、用具置き場などの配置を入念にチェックしていました。借りてきたエアロバイクは選手の部屋の階の通路に設置され、オーバーエイジ枠のマキシミリアン・アーノルドがいつもスマホで家族と話しながら漕いでいたのをよく覚えています。
軍の経験もあるセキュリティ担当のトビアスとは一般のお客さんと接触しないように同線を確保したり、移動の際の集合場所や車両の配置などを細かく確認したりしました。暇があればタバコを吸うかダンベルでパンプアップをしていました。
用具係のミヒャエルは選手とスタッフ全員分のウェアやボールなどの管理を一人で行っていました。必要であればプレス機でウェアに番号などを張りつけていました。トレーニング中もホテルでもコーチングスタッフや選手だけでなく日本人スタッフに対しても気遣いが半端なく、チームにいなくてはならない存在です。
チーム専属シェフのアンドレとは食堂のレイアウトから滞在中のメニューを確認。一緒に倉庫から装飾品を持ち出して飾ったり、日本語を書いた紙を壁に張ったりして楽しみました。米やグルテンフリーのパスタ(パスタも毎回数種類)、ハラル食(ムスリム系の選手対応)ベジタリアン用のメニュー、ミキサーで自分好みの健康ドリンクを作れるドリンクバー、デザートなど、毎食スケジュールを考慮したうえで栄養面や見た目、ボリュームを細かく調整していました。ホテルの日本人料理人の方たちとの共同作業でしたが、毎食のように厨房に呼び出されてやり取りをしました。ホテルのスタッフの皆様、辛抱強く対応してくださりありがとうございます。
クンツ監督の方針のもと、レストラン内で携帯をいじるのは禁止。チームのメンバーとコミュニケーションを図ることに重きが置かれていた。
トレーニング会場の準備
紀三井寺公園陸上競技場でのトレーニングやホンジュラスとのトレーニングマッチに備え準備を進めました。非公開だったため柵の隙間などをチェックしたり、バスの到着場所や選手の出入りを確認したりしました。会場の見回りをしてくるという理由をつけてトビアスとハディープはよくタバコを吸いに行っていました。