2019年7月にドイツの国際カンファレンスに参加したときに「反復は効果的な学習を妨げる」という少し挑発的なタイトルの講演がProf. Dr. Schöllhornによって行われました。反復練習はサッカーだけでなくさまざまなスポーツや教育の場などでも長年使われているものですが、本当に効果的なのでしょうか?
いつもの習慣が正しいとは限らない
習慣や先入観をテストするために講演で使われた質問を少し変えたものですが、下の?には何が入るでしょうか?(下にスクロールしすぎると答えが見えてしまいます)
34267=3
71435=4
11111=5
68426=2
98723=?
多くの人はこれまでの習慣や先入観から数字を足したり引いたりして4つのパターンから仮説を導き出そうとします。しかしその方法や仮説が間違っていたらなかなか?にたどり着くことはできません。トレーニングも同様で「自分が経験してきたから」とか「昔からずっと行われているから」とかいう理由で習慣となっていることがあると思います。それらが実際に正しい方法や自分に合った方法の時もあるかもしれませんが、時には一部が同じように見えるだけで実際は全くの思い違いであったり、もっと良い方法が後々証明されたりすることもあります。疑問を持ち続けることにより良い発見が生まれ進歩につながります。
ちなみに?には2が入ります。横棒の数を数えただけです。
情報や知識が先入観や思い込みを作ってしまい、アイデアがうかばなくなってしまう。
将棋棋士 羽生 善治
脳は3回の繰り返しで刺激に適応する
教授の話では脳は同じ刺激を3回経験するとその刺激にほぼ適応してしまうそうです。例えば、人は服を着ていますが服のことを気にせずに生活を送ることができます。脳は同じような刺激の繰り返しを重要だと認識せずに無視してくれるからです。サッカーの反復練習も同じで、同じことを10回も20回も繰り返すと脳は重要な刺激として認識しないので、量に対する効果は非常に薄いということになります。同じことを繰り返して脳に新しい刺激がなければ大きな変化は起きないということです。
コーチング創始者と言われる故ルー・タイス氏の講演では、「自分が身につけている腕時計の文字盤を覚えている範囲で絵に描く」という実験がよく行われたようです。僕もチャレンジしたことがありますが、普段身につけているにもかかわらず文字盤のデザインを正確に描くことができませんでした。ルー・タイス氏の後継者である認知科学者の苫米地英人氏によると「海馬は、腕時計のことはすでに知っていると判断し、それがどのような文字盤をしたどんなものという情報を記憶に入れなかった」と説明しています。
脳というのは、その意味でかなりバカな存在といわなければならず、「知っている」と判断したものを記憶しようとはしないのです。
2012年 フォレスト出版 苫米地英人『「イヤな気持ち」を消す技術』より引用
反復形式とディファレンシャル・ラーニングの比較実験
反復形式と教授独特のさまざまな変化をつけたDiffernzielles Lernen(ディフェレンツィエレス・レルネン、英語でDifferential Learning=ディファレンシャル・ラーニング)の効果を比較する興味深い実験についての説明がありました。実験はシュート練習でどれだけパフォーマンスが向上するかというもので、片方のグループは反復形式だけのシュート練習、もう片方のグループは同じ事を行わずにさまざまなバリエーションでシュート練習を行いました。
反復形式とディファレンシャル・ラーニングでシュート練習の効果を比較
- 平均して同じくらいのレベルになるように2つのグループを作る
- 1グループは反復形式のみ、もう1つはディファレンシャル・ラーニング
- チーム練習後に1回20分、6週間のうちに合計12回実施
ディファレンシャル・ラーニングでは下のようにさまざまなバリエーションがあり、ほとんどがあえて蹴りにくいフォーム(軸足がボールからとても遠いなど)からのシュートで、とにかくバリエーションを組み合わせて普段と全く違う刺激を与え、反復も修正もしなかったそうです。
バリエーション
- 軸足の位置
- 蹴る足
- 体幹や腕の形
- 助走
- ボールの種類
- 的(ゴール)の種類
結果はというと、反復形式のグループはパフォーマンスの向上が見られました。一方、ディファレンシャル・ラーニングのグループはより大きなパフォーマンスの向上が見られました。一見ハチャメチャであり得ないようなフォームで行ったにもかかわらずです。
だから反復練習を止められない
もう一つは砲丸投げが対象の興味深い実験結果でした。シュート練習と同じように反復形式のみとディファレンシャル・ラーニングで各グループが4週間トレーニングした結果、ディファレンシャル・ラーニングのグループのほうが大きなパフォーマンス向上が見られました。
続いて、2週間の休息期間を設けて再度パフォーマンスチェックをした結果、反復形式のグループはトレーニング前のレベルに戻ってしまいましたが、ディファレンシャル・ラーニングのグループは2週間何もしなくても若干ですがパフォーマンスの向上が見られたそうです。さらにもう2週間の休みの後も同様の結果で、休息してもパフォーマンスが上がっていました。
反復形式に関しては納得できる結果だと思います。僕も「1日休んだら3日後退する」と小学生の時のコーチに言われたことを覚えていますが、とにかく反復することで一定のレベルに達し、反復し続けることで質を保とうとしました。コーチに言われたように反復を止めるとテクニックの衰えを感じます。ゆえにうまくなりたいなら休息の時間も惜しまず反復し続けてたくさんの量を消化しようとします。チームとしても年中活動し続けることになり、精神的にも肉体的にもゆっくり休むことがなかなかできません。これはサッカーに限らず反復してきた日本人の特徴なのかもしれません。
反復練習を止めればもっと休める!?
反復形式にどっぷりつかると休息後もパフォーマンスレベルが上がっていたディファレンシャル・ラーニングの結果を疑ってしまうかもしれませんが、実は日常でもあることです。例えば、自転車に乗ることなど一度できるようになったことは特にトレーニングしなくても忘れずに苦も無くこなすことができます。教授が言うには、自分自身で学んだことは忘れない、教えられたものは記憶と同じで繰り返さないと忘れてしまうそうです。
僕がドイツやチェコでプレーしている時、年に2回も約1ヶ月半のリーグ中断期間がありました(シーズン間のシーズンオフ、リーグ中盤のウインターブレイク)。この時期はチームとしての活動も行わず多くの選手が旅行に出かけたり家族とゆっくり過ごしたり他のスポーツを楽しんだりします。ケガをしている選手は治療に時間を使えますし、数ヶ月もストレスの高い環境にいたので精神的にもゆっくり休んで充電することができました。僕も日本にいる時よりもケガが圧倒的に減りましたし、十分な休みを取らないと結局ケガや疲労で満足にトレーニングできない期間が増えてしまうと思いました。
年に2度の長期休みはプロや大人のカテゴリーだけでなく小さな子どもから小中高生のカテゴリーも同じです。年に2回1ヶ月半前後もチーム活動を行わない時期があります。年中活動している日本の育成年代のチームが夏休みにドイツに遠征に来ると対戦チーム探しに苦労します。ほとんどのチームがまだチーム活動をスタートしていなか、休み明けでフィジカルコンディションが落ちて本調子ではないからです。反復形式の概念ではこんなに休んでいてうまくなったり強くなったりできるわけないという発想になるかもしれませんが、彼らはそんなに休める仕組みでも世界で結果を出しています。
なぜそれでも反復するか
ではなぜ今でも反復形式がたくさん行われているのでしょうか?
赤ちゃんや小さな子供は起きている時にはじっとせずにさまざまな行動をしますが、寝る前に毎回おっぱいを飲んだり本を読んでもらったりして眠りにつきます。教授が言うには、わかっていることを繰り返す反復は精神的な安定をもたらし、そして睡眠を誘う脳波も出るとのことです。反復で安心感を得ることができるかもしれませんが眠気を誘う・・・多くの人が同じようなことを学校などで経験したことがあると思います。
サッカーのトレーニングでも反復練習を続けてきた人は反復することで安心感を得ようとします。僕も選手時代そうでしたが、新しいメニューや複雑なメニューだと何が来るんだろうと不安になったりミスを恐れて受け身になってしまったりします。「人間は生存本能から慣れた環境からの変化を嫌う」と聞いたことがありますが、指導の現場では子どもよりもむしろ先入観を持った大人のほうが新しいことに対して拒絶反応を示しリスクを恐れてチャレンジしてくれないと感じました。しかしサッカーの試合では同じ状況は存在しないので、同じことを繰り返すよりもむしろさまざまな状況に適応するためのトレーニングをする必要があります。
安定感を得るために反復を利用している例としては、試合前のウォーミングアップなどが挙げられます。試合前のウォーミングアップでは毎回同じ流れで同じ内容を行うことが多いと思いますが、試合前に新しいことにチャレンジして不安要素を増やすのではなく、慣れたメニューで試合前の精神的な安定をもたらすことにつながっているでしょう。
ドイツ代表クラスでも理解できないトレーニング
反復は精神的な安定をもたらし、バリエーションは新たな刺激を与え変化や学習につながります。さまざまな変化を加えて選手の脳を刺激するような戦術トレーニングはベンフィカやバルセロナなどが先駆者と言われ、ドイツではラングニック監督(ホッフェンハイムやRBライプツィヒなど)やトゥヘル監督(マインツとドルトムント経て現在はパリサンジェルマンで監督)、ナーゲルスマン監督(ホッフェンハイムからRBライプツィヒ)などがこれまでの固定概念にとらわれない革新的な手法をトレーニングに導入していると言われています。
ブンデスリーガで上位に定着しつつあるRBライプツィヒのドイツ代表選手から話を聞きましたが、「ラングニック前監督のトレーニングも難しかったが、ナーゲルスマン監督のトレーニングはさらに難しくて時には理解できないまま終わってしまう」そうです。しかし、脳波的にはこの状態がサッカーIQを高める効果的なトレーニングとも言えるかもしれません。
バドミントン選手のスウィングを対象にした教授の脳波の実験によると、反復練習をしている時は脳が刺激されず座っている時と脳波に大きな差はありませんでした。フォアハンドとバックハンドを交互に繰り返すと脳が前後の動きを比較することでストレス状態の脳波になりました。段階的にバリエーションを増やしていくと学習に適していると言われている脳波が出ました。さらにランダムで何が来るかわからない状況で行ったところ全ての脳波を感知しました。この脳波の状態は15年間修業を積んだチベットの僧侶の瞑想時の脳波に似ているそうです。
修業を積んだ密教の高僧やヨガ行者は瞑想することで、脳波をθ派、δ波支配まで下げることができ、圧倒的な自由の感覚に包まれながら高い抽象思考を保つことができます。
2014年 宝島社 苫米地英人『脳は休ませると10倍速になる!』より引用
試合はトレーニングのご褒美
トゥヘル監督はブンデスリーガでプロ選手としての経験もなく、育成年代の監督経験はありましたが大人のカテゴリーの指導経験も無しにブンデスリーガ1部に所属するマインツのトップチーム監督に抜擢されました。「トレーニングは試合が休息と感じるくらい複雑なものでなければならない」と彼がいうように、彼は単純な反復作業やルーティンメニューを嫌い選手の脳を酷使する複雑なトレーニングを行って結果を出すことに成功しました(1シーズン目は当時クラブ史上最高の9位、2シーズン目は5位)。
トゥヘル監督はトレーニングだけでなくピッチ外や選手起用にもプロの世界の既成概念にとらわれずに多くの変化をもたらしました。彼は選手に1から10まで毎回指示するのではなく、特定のルールやオーガナイズによってこれまでの習慣を自然と意図した方向に導くルールブレイカーとなりました。
トレーニングは試合が休息と感じるくらい複雑なものでなければならない
マインツ時代のトーマス・トゥヘル監督のコメント
チームの食事は最低でも20分はテーブルに
トゥヘル監督は就任直後に1泊2日の合宿をしたときに夕食を19時30分にセットしました。19時20分頃にレストランに向かいましたがすでに何人かの選手は食事を終えて部屋に戻っていました。翌日の昼食は12時30分に一緒に食べ始めようとチームに連絡しましたが、すぐに食べ終えた選手は食べている人たちのことも気にせずに部屋に戻ってしまいました。そこでトゥヘル監督は「一緒に食べ始めて最低でも20分はテーブルに残る」というルールを設定しました。最終的には誰もが45分くらい会話をしながら食事の席を共にすることになり、一緒に食事をとる人に対してリスペクトを払う習慣ができたそうです。
システムや先発メンバーの頻繁な変更
最近では対戦相手によってシステムを変え、試合中にも状況に応じていくつかのシステムを使い分けるチームも増えてきていますがまだまだ主流ではありません。現在でも多くのチームが最も適すると思われる1つのシステムを決めてシーズンを通して戦っていく傾向です。しかし、マインツ就任当時のトゥヘル監督は、マインツはフィジカル面でもメンタル面でも戦術面でも個々の力でもリーグ内で十分なレベルに達していないと分析しました。そこで相手チームを徹底的に分析してトレーニングで相手チームをコピーし、最も効果的なシステムを模索しました。劣勢の立場が多くなることが予想されるマインツは、特に守備面で選手があれこれ考えることもなく自然とマッチアップする相手が近くにいるようなシステムを対戦相手によって使い分けていました。
また先発メンバーも対戦相手やシステム、試合の中の役割などを考慮して常にベストの組み合わせを選び、連勝中でも6人のメンバーを入れ替えることもありました。試合後のインタビューで「今日も違うシステムで6人も選手を入れ替えましたね」とレポーターに言われた時、トゥヘル監督は「6人も変更?誰を?」と自分で大きな変更をしたことをほとんど意識していなかったようです。「常に手段の目的化にはならないようにした」とトゥヘル監督が語っているように、彼は目の前の相手に勝つという目的のためにシステムやメンバー選びをしているだけであって、勝ったらシステムは変えずにメンバー変更は最高でも2人までが妥当などという既成概念はなかったのでしょう。
オーガナイズによって習慣を自然と変更
トゥヘル監督は、ブンデスリーガでは密集している中央を避け比較的多くのチームがサイドからリスクの低い攻撃を行う傾向にあるとみていたようです。マインツも同様に後方の選手の横パスからコーナーフラッグを目がけてタッチライン際の縦パスを出していました。しかし、トゥヘル監督の考えでは、それは自分たちが守備を行うときのボールを奪う方法でもありました。後方の選手は多くのチームが行っているリスクの少ないプレーをドリル形式のように繰り返し、相手陣地にボールを放り込んだら自分の役目はお終いという感覚だったようです。それはトゥヘル監督の求めるサッカーではありませんでした。
トゥヘル監督は「グラウンダーで斜めのパス」を求めました。長年の習慣を変えるために取り組んだことは毎回ミスをコーチングするのではなく、習慣となっている行動が自然と修正されるようなオーガナイズをトレーニングに取り入れました。例えば、「タッチライン際への縦パス」を「グラウンダーで斜めのパス」に変えるためにフィールドのコーナーを切り取りダイアモンド型のフィールドでゲーム(下図、左)を行いました。そしてトゥヘル監督が「反復練習と変わらない」と言っている「AからBへ、BからCへパスをしろ」などのコーチングも極力避け、選手が自然と古い習慣から抜け出し新しい発想を生み出すことができるオーガナイズの中でトレーニングを行いました。ダイアモンド型のほかにも、サークル、縦長、横長などさまざまな変形フィールドでゲーム形式を行い、マインツではフルピッチを使った11対11のゲームを行ったことがないそうです。
下の中央図は砂時計型にしたフィールド、右図はバナナ型にしたフィールドでどちらもホッフェンハイムを3部からブンデスリーガ1部に連続昇格させたラングニック監督(2019年現在RBライプツィヒスポーツディレクター)のトレーニングです。