僕はヨーロッパでプロサッカー選手としてプレーすることができましたが、日本では高校時にサッカー部を辞めて、大学時は柔道やバンドやバイトをしながら、指導者がいないチームでサッカーをしていました。学生時代は充実した時間を過ごすことができましたが、サッカーで特に目に見えた結果を出したわけでもなく、日本ではプロ選手にもなっていません。
大学卒業後の2001年、偶然にもドイツに渡ることになりましたが、サッカー選手や指導者として結局7年もドイツで過ごすことになりました(間にチェコにも1年いたので合計8年)。その中で実感したことは、それまで日本で正しいと考えられ行ってきたことが唯一の道ではなく、人それぞれいろいろな方法で道を切り開いていくことができるということです。むしろ日本の常識が世界では非常識だと感じることも多々ありました。
だからと言って「日本より海外のほうがいい」、「日本で通用しないから海外に行け」、「ドイツが世界一」というわけではありません。日本にも素晴らしい点がたくさんあり、日本とドイツでも大切にすべき共通点はたくさんあります。ただ、日本の外に出てみて改めて日本の良さを認識することができ、日本のやり方が全てではないということにも気づくことができました。
やればやるほど上手くなる?
自分の学生時代、中学や高校時代に厳しい(負荷の高い)トレーニングをたくさん経験し、そういった厳しいトレーニングに耐えて長く練習すればするほど上手くなると思っていました。しかし、ドイツに行ってみたら(チェコでも)日本の中学高校時代に味わったほどの厳しいトレーニングを一度も経験したことはありません。練習時間も短くてむしろ物足りなく感じることもあり(長くても90分、公式戦前は40分とかいう日も)、チーム練習後に自主練をしていたら「何で練習しているんだ、チーム練習で全力を尽くせばいい」と監督に言われたこともありました。もちろん自主練をする文化もあり、トレーニングの難易度が高くてうまくいかなかったり対戦相手が強くてヘトヘトになったりすることもありましたが、負けたからといって100本も走らされたり毎日3~4時間もいやいや練習させられて「もうサッカーはおなか一杯」と思うことはありませんでした。
科学的な根拠に基づいたトレーニングやスケジューリングにより負荷や休息が調整されていて、同調圧力により半ば強制的にその場に残っていなければならないとか、疲労がたまり集中力も低下していて生産性の低い状態なのに他人と同じことをやらされたりする環境ではありませんでした。結果的にケガが圧倒的に減り、フレッシュな状態でモチベーション高くトレーニングをして、たくさんの公式戦に出場してレベルアップすることができました。今思えば、外発的モチベーションにより無理やり何かをやらなければいけない環境ではなく、内発的モチベーションにより自分で考え自分が必要だと思うことを自分の意志で行いやすい環境であったと感じています。
命令に従う(やらされる)環境に依存すると、命令する人がいなくなった時に自分で考えて行動することができなくなってしまいます。指導者は子供や選手を全てを管理しようとして自由な時間や発想を奪うのではなく、逆に遊びを含めた自由時間を与えることで、子供や選手が学ぶ楽しさに触れ内発的モチベーションにより自立して行動するようになっていくでしょう。
先生に言われてやるのはどこかまでできるけど、大学で博士まで取ろうとしたらやっぱり自分の中からエネルギーが湧かなければいけなくて、それって遊びとか楽しみとか「喜びの学び」が必要。だから、学ばせるためのアンロックをしなきゃいけないのに、命令に従うということは、命令者がいなくなったり命令者がおかしいと思った途端に自分からは(エネルギーが)湧いてこない。
伊藤 穣一
休むこと・楽しむことは悪?
育成年代の年間の活動時間にしても、日本ではゆっくり休む間もなく一年中チーム活動が行われていますが、ドイツを含めたヨーロッパ諸国の多くでは夏の暑い時期は1ヶ月半前後、冬の寒い時期も1ヶ月前後のまとまった休みがあり、その間ほぼチーム活動を行いません。自分の学生時代は、休むことは悪、ケガをしたら弱いやつ、トレーニング中に笑顔が出ていたらふざけている・たるんでいる、負けたから休まずに練習、家族よりもチームを優先すべき、みたいな環境でサッカーをしていたので、こんなに休みと自由があって大丈夫なのかと逆に不安に思うこともありました。
しかし、与えられた自由時間で自分で考えて行動することで自立していき、日常とは異なる人たちと出会うことで新たな刺激を得て、視野を広げ、新たな価値観を知ることができました。最終的には自由時間の使い方はその人次第ですが、時にはケガを癒したり精神的にリフレッシュしたり、時には自分を見つめなおしたりそこからクリエイティブな発想が生まれたり、時には自分の才能を伸ばしたり人生に影響を与えたりする人やモノに出会うチャンスも生まれるでしょう。
文化や社会の仕組みの違いなどもありますが、日本よりも休んでいる国々の方が閉塞感から解放され効率よく活動を行い、分野によっては日本よりも結果を残しているのが実情です(日本の時間当たりの労働生産性はOECD加盟38ヵ国中27位※日本生産性本部「労働生産性の国際比較2022)。日本ではスポーツだけでなくさまざまな場所で理不尽な厳しさがハラスメントとして捉えられてるケースも増えてきましたが、まだまだ閉塞感のある環境で拘束され続け自由に休むこともできずに働き続けている人がたくさんいると思います。
ノーベル賞を取った人たちを見てると、親じゃない外の人がツンとするんだよね。ツンと押したところでズズズと行っちゃうのがだいたいノーベル賞を取ってる。ツンてやる外の影響ってだいたい近くのお店のおっさんとかコーチだとか、ちょっと他人の大人が子供に「あ、それ面白いじゃん」って言ってそこからひっかるの。大人のメンターが面白い子を活性化させるのに大事。
伊藤 穣一
日本では指導者が禁じ手を使うことができる?
ドイツで指導を始めて中学生チームのトレーニングを担当したとき、日本でよく行われるようなパス&ボールコントロールの反復メニューを行いました。日本でこのような反復メニューを行っても子どもたちが黙々と取り組んでくれることが多いと思いますが、ドイツの子供たちは違いました。その時の選手たちは中学生年代だったので僕に気を遣ってくれたのかはっきりと口に出して言いはしませんでしたが、つまらなそうにボールを蹴ったり世間話をしたりしながらただメニューをこなしているだけでした。日本であればここで「ダラダラやるな!」、「真剣に取り組め!」、「やりたくなけければ出てけ」というような声がコーチから出たり罰が与えられたりするかもしれませんが、ドイツでは暴力はもちろんのこと暴言や理不尽な罰は社会的にも許される風潮ではありません。幼児や小学生年代であればつまらないと感じたらはっきりと「つまらない」、「やりたくない」と言ってきますが、そうした状況で日本で味わったような威圧的な態度や罰を使って選手たちに無理やりやらせることはできない環境でした。選手たちとのコミュニケーションや楽しさ(ゲーム性)を残したメニュー設定で選手たちのやる気を引き出す必要があり、禁じ手ともいえる威圧的な態度や罰を抜きした指導こそが指導者の本当の指導力であると気づかされました。
もちろんレベルやカテゴリーが上がればそれなりの厳しさや競争も増えていきますが、特に幼児や小学生年代、中学生以上でもプロを目指しているわけでもなく純粋にサッカーを楽しんでいる選手たちに対して「そんなんじゃ勝てない!」、「上のレベルで通用しない!」と叫んだり罰を与えたりしたところで彼らのモチベーションを引き出すことはできないでしょう。日本でも幼児や小学校低学年で「つまらない」と言ってくる子もいるかもしれませんが、指導者の厳しい口調や罰などで少しずつ言えない雰囲気になっていくか、楽しむことができなくてサッカーを辞めてしまうのかもしれません。外発的モチベーションで強要するのではなく、いかに内発的なモチベーションを引き出し選手たち自らが行動できるか、社会的にも指導者レベルでもそういった理解が日本よりも浸透している環境であったと感じています。
おそらく監督は、選手がグランドに来てくれてら、まず彼らはサッカーという楽しさにひかれてきたのだと思うべきなのだ。ゲームの概念、ゲームは楽しいものだという概念、その楽しさを支えているのは個人の表現であるという概念を失わないようにしている。ただしそれは、選手に好きなようにプレーさせるというのとは少し違う。選手に対して自己表現を推奨しながらも、チームのルールを尊重すべきだと理解させる必要がある。バランス、とはそういうことなのである。
アーセン・ヴェンゲル(『勝者のエスプリ』より)
サッカーをもっと楽しんでよかった
小学校や中学校の頃を思い返すとサッカーが楽しくて何時間でも友達とボールを蹴っていましたが、高校生くらいになると楽しむというよりはやらされていた感が強かったと思います。むしろ楽しんだら怒られるような雰囲気だったと思います。今でもまだそう感じることがありますが、日本のスポーツ現場には「楽しむ=真剣にプレーしていない」、「歯を食いしばってプレーしている=がんばっている」みたいな風潮があり、もっと楽しめばいいのに「なんでこんなに悲壮感が漂っているの?」と感じることがあります。
テレビでも選手や会場の観客が泣いている姿を映すシーンがあまりにも多いと感じますが、テレビ観戦する人たちもサッカーの内容よりお涙頂戴のドラマを求めている人が多いのかもしれません。高校生の大事な試合で選手たちが楽しそうに笑顔でサッカーするのを見て「高校生らしくない!」と批判する人がいると聞いたこともあります。
Fußball ist die wichtigste Nebensache der Welt.
サッカーは世の中のどうでもよいことの中で最も大事なことだ。
僕がドイツにいる時に聞いた言葉で、実際に生活する中で実感できた言葉です。ドイツではとにかくサッカーが断トツの一番人気スポーツでたくさんの人が熱狂しています。プレーしていても観戦していても、勝ってバカ騒ぎしたり負けて泣いたり、時にはサッカーのことがきっかけで喧嘩になったりすることもありますがしばらくしたら現実に戻ります。練習中にチームメイトと喧嘩してもシャワーを浴びたら何事もなかったかのようにあっさりしています。結局サッカーはサッカーで、サッカーに関心がない人にとってはどうでもいいことです。いつまでも負けやミスを引きずって常に悲壮感を漂わせて(ふりをして)生活するのではなく、時にはジョークで切り抜けてもっとサッカーも人生も楽しんでいいんだということを学びました。
第二の故郷ドイツ
日本からやってきた若造を寛大に受け入れてくれた人々おかげで、2009年まで約7年間、充実した日々をドイツで過ごすことができました。
名前をすべて挙げると本1冊になってしまいますが、特に、初期に所属したチームの監督でよく面倒を見てくれたウド(Udo Hölzer ウド・ヘルツァー)、ドイツサッカー協会指導者ライセンス責任者であり僕のライセンスの先生でもあるベルント(Bernd Stöber ベルント・シュトゥーバー)、後期に3年間所属したクラブの会長であったアルフォンス(Alfons Fasel アルフォンス・ファーゼル)はドイツの恩師であり、先生でもあり、今でも交流のある親友です。
彼らからはサッカーやビールの飲み方だけでなく、生き方や価値観、寛大な心、厳しさ、ときには(ほとんど?)ジョークなどさまざまなことを学び、また、彼らを通してさまざまな人たちと知り合うこともできました。
ドイツは僕にとって第二の故郷であり、彼らや多くの人との出会いがなければ今の自分もなくこのサイトを立ち上げて書き進めることができなかったでしょう。Vielen Dank!
サイトの紹介
僕はドイツ在住中、ピッチ内外でとても良い経験をしました。「もっと早くからやっておけばよかった」、「そういうやり方もありなんだ」と思ったことを伝えていき、必要な人に役立ててもらいたいという気持ちから当サイトをスタートしました。スペイン料理もイタリア料理もメキシコ料理も日本食も好きですが、表面的だけでなく実際に現地で経験できたからドイツのことを書いていきます。
サイトのタイトル通り、僕がドイツで選手や指導者として学んだメニューやコンセプトを中心に随時更新していきますが、紹介するメニューは僕が指導者になってから実際に現場で使い、ときには改良して手ごたえを感じたものばかりです。
さまざまな年代やテーマに対応できるように試行錯誤しながら更新していく予定です。取り上げてほしい練習メニューやテーマなども随時受け付けていますので、お気軽にご連絡ください! Viel Spaß!
フースバルトレーニング
タイトルはドイツ語からつけました。
- Fußball(フースバル) → サッカー
- Training → トレーニング
その他、よく使う簡単なドイツ語です。
- Danke!(ダンケ) → ありがとう!
- Vielen Dank!(フィーレン・ダンク) → ありがとう!
- Viel Spaß!(フィール・シュパース) → 楽しんで!
- Tschüß!(チュース) → さよなら!
- Prost!(プロースト) → 乾杯!
ドイツ代表の国際大会の戦績
- ワールドカップ優勝4回(1954, 1974, 1990, 2014)
- ワールドカップ準優勝4回(1966, 1982, 1986, 2002)
- ワールドカップ3位4回(1934, 1970, 2006, 2010)
- ヨーロッパ選手権優勝3回(1972, 1980, 1996)
- ヨーロッパ選手権準優勝3回(1976, 1992, 2008)